風を感じて草食んで

星からのヒトサジの甘みやスパイスを暮らしのアクセントに

親と「どう送って欲しいか」という話しをしたことがありますか?

こんにちは 波優です。

 

先日実母と電話で話している時に、現在の義母の状態に少し触れました。
当然流れとして
「お母さんはその時、どうして欲しい?」という話しになるわけですが。

これだけを聞くととても重たくて
あまり他人に聞かせない方がいい話し、という感想を持たれると思うのですが
私たち母娘は事あるごとに
とても軽やかに、明るく前向きに、時に笑いを交えながら
「その時、どうして欲しい?」の話しを幾度となくしてきたのです。

先日母はお友達との会話の中で
「お葬式の話しとか自分が亡くなるときの話しなんて子供としてるの?!」
と非常に驚かれたそうです。
驚かれたということに驚いた、という母。

  「波優とお母さんはよくそういう話ししてるよねえ?
   そういう時どうして欲しいっていうの、
   生きてる内に伝えておかないとわかんないし
   困ることだって出てくるじゃない、ってお友達に言ったんだけど
   ええ~っ?!子供とそういうことは話しにくいなあ、って言われちゃった。
   波優が亡くなったときとかその後どうするかは
   旦那さんがやることが波優の意思だし、
   2人でよく話してることだから文句言わないでねーって
   お母さん波優から耳にタコができるくらい聞かされてるでしょ?
   わかったわかった、もう何回も聞いてるよって(笑)
   お友達に言わせるとそういうことも不思議なんだって。
   でもさあ、 …大事だよね?」

と母は言いました。

母と命の話しをする時にいつも感じることは
「この話しをしている時間を、その時に思い出すんだろうな」
ということです。親子共々、どちらが先かは分からないけれど
必ず終わりが来るということをとても意識します。
そしてどこか、母が発する言葉をしっかり聞いておこう、
一言一句取りこぼしのないようにしっかり心にとどめておこう、
そんなふうに感じるのか、普段より耳に意識が集中するようにも思います。
(夏に2人で北海道旅行に行ったときにもこういった話題は出たので
お互い変更事項はないよね?という感じで確認し合いました)

この話しをした後は
普段よりもっと母に優しい言葉をかけたくなる。
母も似たような感じで、優しい空気に包まれていくのが分かります。
命の話しをしていても
決して重苦しくはならないのです。


以前専門家の方の読み物を読んだことがあるのですが
子供からこういった話しを親に振るのはハードルが高いことだから
親の立場から積極的に話しを振ってあげる方がいいとあり、なるほど…と感じました。
我が家の場合はどちらからともなくだったのですが
母が癌に罹患してからは、その話し会いに現実味が足されることになりました。


後悔のないように生きたい
やり残したことがないようにしたい
やりきった、という満足感をもってその時を迎えたい
会いたい人に会っておきたい

”その時”は延命治療はやめて欲しい(私を苦しませることはやめて欲しい)
子供と孫たちだけで見送ってくれればそれでいい


母の願いを要約するとこんな感じですが、
生きている内にこれだけ聞けたら十分です。
母には
「どうして欲しいかは何度も聞いてるからあとは何も心配しなくて大丈夫だよ!」
と繰り返し伝えています。母も
「うん、心配はしてないよ~、よろしくお願いしまーす♪」
といつも軽やかに答えてくれます。

私たちはお葬式の前後にまつわる様々なことを
ごく普通の会話レベルで何度も話しあいながら
互いの本心や本音、して欲しい(欲しくない)ことをさりげなく交換し合い、
長い時間をかけて少しずつ死生観の相互理解を深めてきた親子です。
これは互いが心身ともに元気なうちでないと
なかなか難しいことだと思います。
結果論ですが早めに話し始めてよかったし
母が癌に罹患した今、この話しをしようと思って出来ただろうか?
それこそ親から言い出してもらえない限り難しかったと思います。

母は現在ありがたいことに明るくカラッと元気です。
そんな母を遠く関西から静かに見守っています。


どう送って欲しいのかという一見重たい話題ですが
こんな親子もいますよ、という我が家のお話しをさせていただきました。


何かの参考になりましたら幸いです。
お読みいただきありがとうございました。